■酒井敏行先生が平成 26 年度日本医師会医学賞を受賞
日本医師会の日本医師会医学賞 (Medical Award of The Japan Medical Association) は、日本医師会会員で、基礎医学・社会医学・臨床医学の分野で重要な業績をあげた研究者に対して授与されています。今年度、酒井敏行先生(日本衛生学会副理事長、京都府立医科大学教授)に授与されました。授与対象の研究課題は、「癌の分子標的予防法の確立とその応用に向けての研究」に関する業績です。
この応募には、日本医学会分科会長等による推薦が必要ですが、日本衛生学会理事会の総意により推薦いたしました。酒井敏行先生の受賞は日本衛生学会にとっても喜ばしいことであり、ここに報告します。
なお、酒井先生からは、日本衛生学会活動の支援として、高額のご芳志(1,000,000円)をいただいたことを付記いたします。
以下に、研究内容と推薦理由の概要を記します。
1.研究内容
酒井敏行教授は、発癌機構の解明とそれに基づく予防法の開発を志し研究を開始した。まず網膜芽細胞腫の発症において、癌抑制遺伝子RBがプロモーターの突然変異やメチル化により失活することを発見した(1-3)。このメチル化による発癌という発見は、「癌とエピジェネティクス」という重要な分野の嚆矢となる日本発の成果となった。酒井教授は、癌を予防するためには原因分子を標的とした予防法が必要であると考え、「分子標的予防」の概念を提唱した(6)。その標的分子として、最も普遍的に失活する RB に着目し、野菜に含まれる癌予防因子がRB を活性化することを見出した。この発見は、野菜摂取が癌予防に有用であるという疫学研究結果の実験的証拠となっている(4-6)。
酒井教授がめざす研究の最終目標は、疫学的介入試験により癌予防の証拠を示し、それにより集団レベルで癌予防を実践することである。そのため、RBを活性化できる癌予防ジュースの創製や、予防に使用しうるRBを活性化できる分子標的薬の創製を企業と共同で開始した。まず世界中のジュースを収集した後、RBを活性化させるジュースを選び出すことに成功し、現在、理想的な癌予防ジュースの創製の最終段階にある。また、家族性大腸腺腫症の腺腫発生予防にはMEKを阻害することが有効なことから、企業との共同研究により、酒井教授考案による実験系を用いることでMEK阻害剤トラメチニブを発見した(8)。この薬剤は黒色腫に著効を示したため、昨年米国で初めてのMEK阻害剤として承認され、Drug Discovery of the Yearにも選ばれている。このトラメチニブは毒性が低いことから、家族性大腸腺腫症の予防試験に理想的である。また、既に酒井教授のグループはアスピリンを用いた全国規模の大腸腺腫症の予防介入研究を行い、有効性を証明した経験があり(10)、上記の癌予防ジュースやMEK阻害剤を用いた家族性大腸腺腫症などを対象とした腫瘍発生抑制介入試験の準備はできている。
以上、酒井敏行教授は、新規発癌機構の解明に始まり、癌の分子標的予防医学の提唱、さらにはその実践に向けての産学連携研究も含めて、社会に貢献しうる多くの成果をあげた。
文献
1. Sakai, T., Ohtani, N., McGee, T.L., Robbins, P.D., and Dryja, T.P. Oncogenic germ-line mutations in Sp1 and ATF sites in the human retinoblastoma gene. Nature 353: 83-86, 1991.
2. Sakai, T., Toguchida, J., Ohtani, N., Yandell, D.W., Rapaport, J.M., and Dryja, T.P. Allele-specific hypermethylation of the retinoblastoma tumor-suppressor gene. Am. J. Hum. Genet. 48: 880-888, 1991.
3. Ohtani-Fujita, N., Fujita, T., Aoike, A., Osifchin, N.E., Robbins, P.D., and Sakai, T. CpG methylation inactivates the promoter activity of the human retinoblastoma tumor-suppressor gene. Oncogene 8: 1063-1067, 1993.
4. Nakano, K., Mizuno, T., Sowa, Y., Orita, T., Yoshino, T., Okuyama, Y., Fujita, T., Ohtani-Fujita, N., Matsukawa, Y., Tokino, T., Yamagishi, H., Oka, T., Nomura, H., and Sakai, T. Butyrate activates the WAF1/Cip1 gene promoter through Sp1 sites in a p53-negative human colon cancer cell line. J. Biol. Chem. 272: 22199-22206, 1997.
5. Inoue, T., Kamiyama, J., and Sakai, T. Sp1 and NF-Y synergistically mediate the effect of vitamin D3 in the p27Kip1 gene promoter that lacks vitamin D response elements. J. Biol. Chem. 274: 32309-32317, 1999.
6. Matsuzaki, Y., Sowa, Y., Hirose, T., Yokota, T., and Sakai, T. Histone deacetylase inhibitors-Promising agents for “Gene-regulating chemoprevention” and “Molecular-targeting prevention” of cancer. Environ. Health Prev. Med. 8: 157-160, 2003.
7. Taniguchi, H., Yoshida, T., Horinaka, M., Yasuda, T., Goda, A.E., Konishi, M., Wakada, M., Kataoka, K., Yoshikawa, T., and Sakai, T. Baicalein overcomes tumor necrosis factor-related apoptosis-inducing ligand resistance via two different cell specific pathways in cancer cells but not in normal cells.
Cancer Res. 68: 8918-8927, 2008.
8. Yamaguchi, T., Kakefuda, R., Tajima, N., Sowa, Y., and Sakai, T. Antitumor activities of JTP-74057 (GSK1120212), a novel MEK1/2 inhibitor, on colorectal cancer cell lines in vitro and in vivo. Int. J. Oncol. 39: 23-31, 2011.
9. Ishii, N., Harada, N., Joseph, E.W., Ohara, K., Miura, T., Sakamoto, H., Matsuda, Y., Tomii, Y., Tachibana-Kondo, Y., Iikura, H., Aoki, T., Shimma, N., Arisawa, M., Sowa, Y., Poulikakos, P.I., Rosen, N., Aoki,Y., and Sakai, T. Enhanced inhibition of ERK signaling by a novel allosteric MEK inhibitor, CH5126766, that suppresses feedback reactivation of RAF activity. Cancer Res. 73: 4050-4060, 2013.
10. Ishikawa, H., Mutoh, M., Suzuki, S., Tokudome, S., Saida, Y., Abe, T., Okamura, S., Tajika, M., Joh, T., Tanaka, S., Kudo, S.E., Matsuda, T., Iimuro, M., Yukawa, T., Takayama, T., Sato, Y., Lee, K., Kitamura, S., Mizuno, M., Sano, Y., Gondo, N., Sugimoto, K., Kusunoki, M., Goto, C., Matsuura, N., Sakai, T., and Wakabayashi, K. The preventive effects of low-dose enteric-coated aspirin tablets on the development of colorectal tumours in Asian patients: a randomised trial. Gut doi: 10.1136/gutjnl-2013-305827.
2.主な推薦理由
日本衛生学会は、人類の健康の増進と福祉のため、環境保健と予防医学を二本の柱として研究活動を推進している。学会でも活発に活動されてきた酒井敏行教授は、癌研究の面からこの道を志し、実際的予防法を目指し、原因分子を標的とした「分子標的予防」を提唱した。その後この分子標的予防研究を実践し、国際的にも高い評価を得ている。
発癌メカニズムの解明の面では、メチル化による癌抑制遺伝子の失活が発癌の引き金となることを発見した。これは突然変異が無くても発癌に至ることを証明した日本発の極めて重要な業績である。この後、喫煙・ピロリ菌等がメチル化により発癌を起こすことが様々な研究グループにより報告され、酒井教授の発見が嚆矢となり、環境発癌の研究分野が飛躍的に発展した。
予防面では、癌抑制遺伝子RBを標的分子とした研究により、野菜に含まれる種々の癌予防成分がRBを活性化することを見出し、野菜の摂取が癌予防に有効であるという疫学研究への証拠を提示した。また、酒井教授らが発見した新規MEK 阻害剤は黒色腫患者に驚異的な薬効を示したことから、初めてのMEK阻害剤として米国で承認された。この薬剤は極めて毒性が低いことから、酒井教授らによる疫学介入試験への研究が進行中であり、家族性大腸腺腫症の予防薬としても期待されている。
以上、酒井敏行教授は、新たな発癌機構の解明、癌分子標的予防の提唱、癌疫学研究における実験的証拠の提示、さらには、新たな癌予防介入試験への展望に関して多大な成果を上げて来られました。日本医師会医学賞候補として推薦させていただくことを、日本衛生学会理事会にて全員一致で決定したことを申し添えます。